読書日和な平和な日

先日友人のブログに、天気が良かったので、公園で読書をしましたと書いてありました。青空の下本を広げて、それは気持ちが良かったそうです。公園の写真も載っていて、私は漠然と、平和ってこういうことをいうのかな、と思いました。春ならば青葉の木の下で、夏は日陰で蝉の声を聞きながら、秋は落ち葉の散る中、冬ならば枯れ枝を見ながらコートに身を包んで、読書ができたら……イメージ的には幸せですよね。もちろん、太陽の下で本を読むと目がちかちかするとか、夏は暑くて冬は寒いとか根本的な問題はあって、冷静に考えれば当然室内で読むほうが快適ではあるんですけどね。春と秋はともかく、夏はエアコンの効いた部屋で、冬ならばこたつに入って、でしょうか。暖房の方が温まるでしょうけど、こたつの方が日本の冬という印象があります。そしてどんな場合でもお供に欲しいのが緑茶です。人によってはコーヒー、紅茶エトセトラ。好みは人ぞれぞれですが、ともかく美味しい飲み物。でも本を読みながらカップを持とうとして、うっかりこぼすなんてこともありますから、気を付けないといけません。私はわりと最近、やりました。カップを持つときは、きちんと本から顔を上げて、ですよ。


手間を厭わず好きなこと

先日親戚の子供が遊びに来たときのことです。彼女は小学生。お家でママと作りなさい、と、母がどこかで貰ったらしい、子供向けの料理の本をプレゼントしていました。すると彼女が一言。「私めんどくさいこと好きじゃないんだよねえ」私が小学生の頃といえば、母親の手伝いがしたくて、でも邪魔になるから、危ないからと遠ざけられていた頃だったので、とてもびっくりしました。でもそんな彼女はその後、ビーズを取り出して何かを作っていて、ああ面倒なことが嫌なのではなくて、料理に興味がないだけなんだと一安心しました。ビーズの方がよほど手間がかかりますもんね。ちなみに私はビーズはとても苦手です。テグスに通し、最後に結ぶ段階でばらまくということを何度も繰り返したという過去があり、自分の不器用さを実感したからです。しかし母はビーズ大好きなので、我が家には本がたくさんあります。見ている分にはきれいなんですけどね……。料理とビーズではありませんが、適性も好みも、人にはありますからね。そのかわり私は、母が「読みたくない」と言い切るような長編小説も、臆せず読み切ることができますよ。特別なことではないかもしれないけれど、母にとっては驚くべきことのようです。


雑誌は一期一会

以前、ある俳優さんにはまったときに、友達からたくさんの雑誌を借りました。その子が買っている古い雑誌に記事が載っているから、と貸してくれたのです。書籍は古くなっても何とか手に入りますが、雑誌となると古書店をあたってもなかなか難しいんですよね。以来、欲しい雑誌は見かけたらそのときに買うように心がけています。漫画等の月刊誌は買っていないので、基本的には特集が組んであるムック本が多いです。買って読まないまま放置、というものもよくあります。本屋で見ると読みたいんだけど、なかなか読む時間がとれないという……。そういうものは年に一度整理をします。時間をおいてまた読みたいと思えるならばそれでよし、やっぱり読まなくていいと思えば処分します。買って読まないなんてお金の無駄だと言われますが、興味の対象は移るもの。その時に時間を作れなかった自分が悪いので、すっぱり諦めます。だってそれまでとっておくスペースが私の部屋にはないんですもの。一応読む前の本は目につくところに置いているんですけどね。今も机の上が山盛りです。一日のうちのどの時間を削ったら、本を読む時間ができるのでしょう。問うまでもなく、ネットか昼寝だとはわかっています。


猫のダヤンと懐かしの再会

友人に、ダヤンのバッグをもらいました。わちふぃーるどのダヤンです。正直、どうして私にこれをくれたのか、わかりません。私はダヤンのファンじゃないし、誕生日やクリスマスのイベントの日程でもなかったし。でも、ちょうど古いバッグが壊れてしまったときだったので、ありがたくもらって、以来、愛用しています。もうだいぶ昔、母と弟がわちふぃーるどに夢中だった時期があります。母は猫のダヤンの愛らしさから好きになったようでした。弟は、うさぎのキャラクターにはまっていたような。そのときにちょうどダヤンの本があることを知った私は、彼にその本をプレゼントしました。たしかダヤンがどうしてわちふぃーるどに来たのか……っていう内容だったかな。それは単行本でしたが、絵本もずいぶんたくさん出ていますよね。でもその絵本、サイズは小さいくせにに高価で、学生だった私には残念ながら手を出すことができませんでした。他に覚えていることといえば、母の誕生日にどうしてもバレッタを買ってあげたくて、お小遣いの中からお金を工面したこと。今はそのお店もなくなってしまってまるきり縁遠くなってしまったダヤン。今度本屋に行ったら、絵本を探してみようかなと思いました。


ドールハウスの世界

ドールハウスの展示会があることを知りました。近所の美術館であるようです。ドールハウスを初めて見たのは、テレビの番組でした。小さな小さな家の中に、家具や食器やその他もろもろきっちり揃った不思議な世界。それはおとぎ話の国のようで、とてもびっくりしたことを覚えています。ひとつはその細かさと見事さについて。そしてもうひとつは、よくこんなものを作るなあということについてです。私、手先作業が苦手なんです。裁縫も工作も好きではなくて、学生時代は家庭科も図工も平均以下でした。それなのに、世の中にはあんなにきれいなミニチュアの世界を作る人がいるんです。素晴らしいですよね。『不思議の国のアリス』や『赤毛のアン』の世界をそのまま作っている人もいるんですって。確かにあの世界観は、ドールハウスに適していそうです。現代のっていうより、中世の?昔の?そういう感じですもんね。ああでも、昭和30年代の日本の風景なんていうのを見たこともあります。母がとても感動して、自分も作りたいけどぜったい無理と嘆いていました。家で一番器用で、一番細かな作業が好きな人なんですけどねえ……。細かいといえば、米粒にイラストを描く人もいるんですよね。世の中にはたくさんすごい人がいるものだなあと感心します。


お風呂で妄想

気がついたら、足に青あざができていました。おそらく仕事中にどこかにぶつけたんでしょう。これがひとつふたつではなく日々増えていくんですよ。思い当る節はありますが、まったく困ったものです。こんな日はゆっくりお風呂に浸かります。なんとなく、温めると早く治りそうな気がするからです。もちろん医学的根拠はありませんよ。ほら、肩コリとかも温めるといいというじゃないですか。あれと同じ発想です。ただ、お風呂のぼんやり浸かるのって飽きてしまうんですよね。本を持ち込むとしわしわになるし、歌でも歌っていればいいのかもしれないけれど、響いて恥ずかしいし。そんなとき、私は本の続きを妄想することにしています。お気に入りの小説や漫画の続きを勝手に考えるんです。あのキャラならこうするかな。こうなったらおもしろいな。その程度ですが、暇つぶしにはなりますよ。ついうっかり友達に話すと「立派な想像力だこと」なんて呆れられてしまいます。「それよりほかに考えることがあるでしょ」とかね。ゆっくりしたいお風呂で難しいことを考えたら、疲れが抜けなそうで嫌なので、そんな言葉は無視をしています。立派な想像力、大いに結構。頭の中だけで楽しめるのだから、立派に役に立っていますよ。


父がカニを釣ってきました

今日友人と二人でカニを食べに行きました。たまには贅沢でも…という話になってカニだったんですが、カニで思い出したことがあります。以前、母と二人用事から帰宅すると、父がバケツを差し出してきたことがありました。父の趣味は釣りなので、またなにか魚を釣ったんだろうと思って覗き込み……思わず身体をひきました。だってそこにいたのはカニだったんです!しかも紫っぽくて今にもバケツから出てしまいそうなほど大きなカニ!嫌いなんです、カニとエビ。もちろん食べるのは好きですよ。でも生きているのはいけません。だってあの足のつき方、中心から生える感じが昆虫に似ていませんか?怯える私をよそに、父と母はカニをゆで上げました。沸騰したお湯にカニを投下する父。でも、カニもきっと苦しいんでしょうね。かりかりと鍋の中を引っ掻くんです。縁から足がのぞくんです。怖い、これじゃまるで血の池地獄!子供の頃読んだ絵本を思い出しました。ぐつぐつぐつぐつ、悪いことをした人が大釜でゆでられちゃうんです。ああ怖い。カニ怖い。結局カニはだしとなり、味噌汁ができあがりました。父はおいしそうに飲んでましたが、私は無理!「食物連鎖だから仕方ない」ってお父さん、そういう問題じゃなくてカニの足が、血の池が!地獄を題材にした絵本、探し出してきて見せてやろうかしら。ああでも自分が読んだのは題名がわかりません。絵の印象ばかり強すぎて。でも、今日はそんなことは思い出さずに食べることができたので、やっぱり食物連鎖は私の身にも沁みついているんでしょうね。ゆでているところを見なければ…なんてわがままなんでしょう。


面倒だから、整理します

面倒だなあと思ったら、それはやるようにしています。例えば使ったものを元の場所に片付けること。動くのがだるくて面倒だななんて思うけれど、その場で動けば後で動かないですみます。例えば布団の上、目をつぶってしまった後に、窓を閉め忘れたことに気づいたとき。これもその場で諦めて立ち上がれば、翌朝寒さに起きなくてすみます。面倒だと思うことは、結局最後のひと手間であることが多いのです。それは前の仕事のときに知りました。面倒だと最終確認を省いてしまえばミスが起きます。絶対ミスはないと思っていても、最後の確認は大事なんです。完璧なのに面倒だ、なんて思ったときこそ、本当は気が抜けているとき。動くべきときなんです。ということで、明日は面倒だけど、本の片づけをしようと思います。こんなに偉そうに書いていてなんですが、今部屋の片隅に本が積み上がってしまっているんですよ。面倒以前に本棚に入らない本たちです。定期的に片付けてもすぐにいっぱいになる本棚。まったく困ったものです。図書館で借りてる本も結構あるのに、それでも増加するなんて。図書館で借りられないような本が増えるからいたしかたなしということではあるのですが。それにしても面倒です。でもやらないといつか雪崩が起きそうだしな。うん、明日やりましょう。がんばります。


元気に雲を眺めてみる

子供が描いたように鮮やかな空では、太陽が一生懸命に照っていました。遠くに浮かぶ雲は真っ白で、上を歩けそうなくらいに立体的で、それなのに柔らかそうで。私は雲の上を歩く自分を夢想しました。小さな頃に見たドラえもんのアニメのように、あるいはムーミンのアニメのように。雲の上で走ったり寝転んだり、雲に乗って空を飛んだりするのです。もちろん、そんなことができないことは知っていますよ。でも考えるのは自由ですもんね。もっともっと大きくてちょっと暗い雲がもくもく育っているときは、「あのむこうにラピュタがあるんだ」とか呟いてみたりして、一人ラピュタごっこをします。『天空の城ラピュタ』のことです。いい年をして何をばかなことをしているんだなんて、我にかえってはいけないのです。だって楽しいんですもの。大人だってひっそりばかになりたいときがあるのです。はしゃぐときだってあるのです。大人だから大人っぽくふるまっているけれど、小さな子供だった頃の記憶は確かに存在しています。すなわち、子供だった自分がいるんです。おかしいですか?ううん、おかしいって思われても私は平気。たばこを吸って気をまぎらわすよりも、お酒を飲んで憂さを晴らすよりも、よっぽど安全で楽しいんですもの。


口から食べることの重要性

なぜか最近、肌荒れがひどいです。保湿はしているつもりなんですが、がさがさするんですよね。別件で行った薬局の薬剤師さんにそう話したら「それは大げさに言えば、栄養失調ですよ」と言われてしまいました。人間が肌を作るにはミネラルが必要で、それが不足しているから肌が荒れてしまうんだそうです。荒れた肌が新しく綺麗な肌にかわる間、時間がかかります。ここできっちりと栄養をとることが必要とのこと。思い出すまでもなく、ごめんなさいと謝罪してしまいたくなりました。最近疲労困憊で、食欲がなかったんですよね。うん、ちゃんと食べていませんでした。でもそれくらいでまさか肌が荒れてしまうなんて。「口からちゃんと食べることが生きることですから」と薬剤師さんは言っていましたが、本当にそのとおりなんですね。食べることは生きること。だいぶ前に手にした食のエッセイや、寝たきりで胃ろうとなった人の口腔ケアをしている歯科医師の記事でも同じことを読みました。どうしても食べたくないときもあります。習慣で朝食を抜く人もいるでしょう。それでも生きていけるけれど、ある意味、生きることを放棄しかけている……と言ったら大げさでしょうか。今まで深く考えていなかった食に関して、今日は考えることができました。