元気に雲を眺めてみる

子供が描いたように鮮やかな空では、太陽が一生懸命に照っていました。遠くに浮かぶ雲は真っ白で、上を歩けそうなくらいに立体的で、それなのに柔らかそうで。私は雲の上を歩く自分を夢想しました。小さな頃に見たドラえもんのアニメのように、あるいはムーミンのアニメのように。雲の上で走ったり寝転んだり、雲に乗って空を飛んだりするのです。もちろん、そんなことができないことは知っていますよ。でも考えるのは自由ですもんね。もっともっと大きくてちょっと暗い雲がもくもく育っているときは、「あのむこうにラピュタがあるんだ」とか呟いてみたりして、一人ラピュタごっこをします。『天空の城ラピュタ』のことです。いい年をして何をばかなことをしているんだなんて、我にかえってはいけないのです。だって楽しいんですもの。大人だってひっそりばかになりたいときがあるのです。はしゃぐときだってあるのです。大人だから大人っぽくふるまっているけれど、小さな子供だった頃の記憶は確かに存在しています。すなわち、子供だった自分がいるんです。おかしいですか?ううん、おかしいって思われても私は平気。たばこを吸って気をまぎらわすよりも、お酒を飲んで憂さを晴らすよりも、よっぽど安全で楽しいんですもの。


口から食べることの重要性

なぜか最近、肌荒れがひどいです。保湿はしているつもりなんですが、がさがさするんですよね。別件で行った薬局の薬剤師さんにそう話したら「それは大げさに言えば、栄養失調ですよ」と言われてしまいました。人間が肌を作るにはミネラルが必要で、それが不足しているから肌が荒れてしまうんだそうです。荒れた肌が新しく綺麗な肌にかわる間、時間がかかります。ここできっちりと栄養をとることが必要とのこと。思い出すまでもなく、ごめんなさいと謝罪してしまいたくなりました。最近疲労困憊で、食欲がなかったんですよね。うん、ちゃんと食べていませんでした。でもそれくらいでまさか肌が荒れてしまうなんて。「口からちゃんと食べることが生きることですから」と薬剤師さんは言っていましたが、本当にそのとおりなんですね。食べることは生きること。だいぶ前に手にした食のエッセイや、寝たきりで胃ろうとなった人の口腔ケアをしている歯科医師の記事でも同じことを読みました。どうしても食べたくないときもあります。習慣で朝食を抜く人もいるでしょう。それでも生きていけるけれど、ある意味、生きることを放棄しかけている……と言ったら大げさでしょうか。今まで深く考えていなかった食に関して、今日は考えることができました。


私が一番欲しいもの

インターネットの記事で、女性が喜ぶプレゼントランキングというものがありました。そうだろうなとは思いましたが、一位はやはりアクセサリーでした。二位が時計等のファッショアイテムで、ほかには花束なんてものもありました。でも、その記事のどこを見ても、私の欲しいものはなかったんですよね。私が欲しいものはもちろん本です。小説でも漫画でも実用書でもかまいません。読んだことのない本が欲しいんです。それも、私が欲しい本ではなく、贈ってくれる人が選んでくれたら最高です。自分の読みたい本は自分でも買えますし、やはりどうしても似たようなものを集めてしまうんですよね。だから新しい世界を知るためにも、誰かに選んでもらえたら嬉しいのです。学生の頃は友人に貸したり借りたりで色々な作品を読むことができたんですけどねえ。社会人になるとなかなかそうはいかないものです。今の職場は年配の方が多いので余計にそうなのかもしれませんけども。アクセサリーより時計より花束より本がいい……なんて言ったら、お母さんは悲しみそうだなあ。本を読むよりおしゃれをしてほしいとは、それこそ中学生の頃から言われています。でもねえお母さん。仕方がないよ。だって私は、本を読むのが何より好きなんです。


『つい』買ってしまう本

誰にでもつい食べてしまうメニューってあると思います。私はラーメン屋さんに行くと、大抵ラーメンではなく炒飯を食べます。いつも炒飯だねと言われるし、特に好きというわけでもないんですけど、選んでしまうんですよね。こういうパターンは、読書にも当てはまります。特にお気に入りと言うわけではないけど作者買いしてしまう人。不思議な表現ですが、確かにいるんですよ。昔は好きだったけど今はそうでもない。でも習慣で買ってしまう作家さんが。あるいは、本当につい、買ってしまう作家さん。こうして書くと失礼ですか?でも本当にいるんです。だって、大好きな作家さんが新刊を出したら、当日に本屋に飛んでいくじゃないですか。でもこういう作家さんのときは、本屋に行って新刊を見つけたら買うというパターンです。そのくせ読まないと落ち着かないというか。……あれ?やっぱり好きなのかな。ま、どっちにしろ買うんですけどね。ということで、今日は本屋に行ってきました。でも時間がなかったので目的の品だけを購入。にこにこしながら帰ってきました。でも今度は時間のあるときにゆっくり行って、のんびりまわってこなくっちゃ。新しい本にも出会いたいし、つい買ってしまう作家さんの本も見なきゃいけませんしね。


穏やかなメリーゴーラウンドのように

本の帯に書いてある紹介文が気になります。その本の作者は知らない人でも、帯で紹介している人が好きな作家さんだったりすると手に取ってしまうほどです。作る方はそれを狙っているのかしら。それと同じ感覚で、本屋独自のポップも結構好きですね。人気作!とか書いてあるのもいいのですが、簡単なあらすじとひと言の感想のようなものも、本を購入する際の手がかりになります。でもあらすじよりも感想のほうが、私にとっては大切です。あらすじはほんの裏表紙に書いてあるものもありますからね。それより読んだ人が何と思うか。どきどきするのか、わくわくするのか、ほっこりするのか。それがわかれば自分がどんな気分になれるかわかりますから。私は基本的にほっこりする話が好きです。のんびり穏やかで温かな話が好きなんです。他の人から見れば「山場がなくて退屈」などと言われてしまうこともありますが、世の中平和が一番!ですよね。……なんて言ったら笑われちゃうかな。でも、大事だと思うんです。ジェットコースターみたいな日常なんてそうありません。大抵日々は穏やかな……そうだな、メリーゴーラウンド?毎日大きな変化がなく続いています。その中に楽しみを見出すことも、大事だと思うんです。


エンディングノート

エンディングノートという言葉を初めて聞きました。人生の最期についてをまとめたノートのことをそう呼ぶようです。自分が死んだときのため、あるいは病気などでいろいろなことを判断できなくなったときのために、必要なことをまとめておくためのものらしいです。こういうのって大事だと思います。自分がいつ死んでしまうかなんて、誰にもわかりませんもの。十年後かもしれないし、一年後かもしれないし、明日かもしれない。こんなことを書くと怖いですが、ありえることです。……可能性の問題として。それに、このエンディングノートには自分を見つめ直すという付加価値もあるそうです。たしかに、死に際して人に伝えたいことというのは相当大事なことでしょう。それを突き詰めれば、自分の価値観がわかったり、今後の人生のことを考える手がかりになりそうです。私はまだ最期のことなど考えたことはありませんが、できることなら大切にしているものはその価値をわかってくれる人に遺したいと思います。たくさんの本もそのまま捨ててしまうのではなく、欲しいと言ってくれる人に引きとってもらいたいし、一番のお気に入りは棺に入れてもらいたい。遺言として残すのは敷居が高いけれど、自由書式のエンディングノートならばと思いました。


『不・苦労』と『帰る』のこと

うちにはふくろうの置きものがたくさんあります。ふくろうは不・苦労といって、苦労をしなくなるという意味があるらしいんですね。それを知った母が、みんなが苦労をしないようにとどこかで見かけると買ってくるのです。ちなみに私の机の上には木彫りのふくろうが、ペンギンの置きものの横に並んでいます。母はこういう迷信のようなことを気にします。私が車を買ったときには、すぐにかえるのマスコットを買って来てくれました。無事に帰る(かえる)ように、とのことでした。正直な話を言えば、ダジャレみたいなこれらのことが、本当に『不・苦労』や『無事帰る』に通じるとは思いません。でも、それによってみんなを守ろうとしてくれている母の気持ちは本物だと思いました。だから私はふくろうの置きものを机の上に置き、かえるのマスコットを車にぶら下げています。かえるといえば他には『お金が返る』という意味もあるらしく、財布の中に小さなお守りを入れています。でも帰って来ないんですよねえ……お金。入ってくるときはほふく前進のくせに、出るときは羽根が生えて飛んで行ってしまうんです。それを言ったら母は爆笑していました。うまく言ったねって、狙ったつもりはないんですけど。まあ一時でも楽しく笑えたのでよしとしましょう。


テレビより本が好き

夕飯の時間がわりと早いので、夜になるとお腹がすいてしまいます。でもここで食べるとよくないらしいので、ぐっと堪えて歯磨きをして、翌朝食べることにしています。朝食は一日の活力ですよね。私、朝摂取するものって大事だと思うんですよ。朝ご飯はもちろん、例えば朝見たテレビが楽しければ通勤時間の間くらいはうきうきするし、偶然早起きしてしまった朝に読んだ本が楽しくても、午前中いっぱいくらいは元気になります。どうしてテレビより本の方が時間が長いのかというと、「ああ、読んだなあ」という充実感があるからです。基本的にテレビよりも本の方が好きなんですよね、昔から。子供の頃はアニメ番組を追っていた気がするのですが、大人になってからはそれも減り、ドラマなどはほとんど見なくなりました。おかげで会社での同僚との会話にはついていけません。しかしそれでも見るより読むを優先してしまいます。どうしてでしょうね?テレビの方が受動的に簡単に楽しめると思うんですけどねえ、ぼうっと見てれば映像も声も身体に入ってきますから。基本的に受け身の性格なのにと不思議ではありますが、まあ深く考えても仕方なし。楽しい読書に流されつつ、今日もほとんどテレビは見ていません。居間から耳に届くので、声だけを聞いています。


マスクで風邪を防止!

あなたの風邪はどこから?なんてCMが昔ありましたが、私の風邪は喉からです。乾燥に弱いのになぜか口を開けて寝てしまうらしく、起きたときは喉がガラガラ。それを防止するために、ここ数年マスクをしています。紙ではなくガーゼのものを使っています。そのほうが保湿性が高いからです。薬局で買う白いマスクが多いのですが、先日手作りのマスクと言うものを見ました。ガーゼ……なのでしょうか。ちらっと見ただけなのでわかりませんが、あの口にあてる部分がとてもかわいい模様入りで、まるでマスクではないような愛らしさでした。子供サイズだったので購入には至りませんでしたが、まあ……あの柄を大人がしていたら見る人はびっくりかもしれません。結構鮮やかなピンクでしたから。でも考えてみれば、紙のものでも色つきとかありますよね。白だけじゃそっけないから?考える人は考えるものです。寝るときのマスク。必須ではありますが、今朝は起きたらマスクが取れていました。そして読みかけの本が背中の下に。携帯はホルダーの中ではなく隣に転がっていて……私は眠っているときにいったい何をしているんでしょうね。寝相が元気良すぎです。あなたの風邪は喉から、だからマスクをという以前に布団を蹴っ飛ばしていることが問題なのかも知れないと気づいた朝でした。


隙間時間で読んでいます

昨日、家の中を素足で歩いていたら、突然足がつりました。足の裏の指の付け根です。いたたたって叫んじゃいました。適当に伸ばして歩き始めたらまた「いたたたっ」まったく、困ったものです。身体がちょっと痛いときは、なんとなくストレッチをします。小学校の頃に体育の授業でやったようなアバウトなものを、大抵は広げた足の間に雑誌を置いて、します。なんか伸ばしている時間が勿体ないかなって思っちゃうんですよね。活字中毒と言えるほど活字に親しんではいませんが、こうね、気のりしないことは気のりすることと合わせたら楽しそうじゃないですか。面倒だからストレッチはあまり好きじゃないんですよ。他にも歯を磨きながらとか体温計で熱を計りながらとか、カップラーメンが出来上がるのを待つ間とか、ちょっとした隙間に本を持ちだします。これは目があいているから……って言ったらおかしいでしょうか。どれも何かをじっと見ていなくてはいけないものではないから、それなら本の頁を見ようというわけです。仕事をするようになってなかなかまとまった時間をとるのが大変なので、隙間時間の活用をしています。でもこれだと少しづつしか話が進まないのでときどきいらっとするんですよねえ。読書は集中して一気に読むのが一番だと思ってはいます。