毎日の洗濯物から

洗濯物を毎日干すのって大変ですよね。最初は楽しいのですが、毎日……となるとだんだん飽きてきます。小説や映画だと、洗濯物を干すシーンってすごく楽しそうだなと思うのですが。高原に翻る無数の白いシーツだとか。路地裏に掛け渡された衣類の列だとか。後者は綱を渡ってヒーローが悪者から逃げるシーンなどでも使われていますよね。
まあ現実にはそんなステキな洗濯風景は望めないわけなので、何とかして飽きないようにしなくてはなぁ、と思う今日この頃なのです。苦痛は少ないに越したことはない。でもこれがなかなか難しい。
そう考えると、【お母さん】ってスゴイ存在だったんだな、と思います。うちの母は家事をマメにする人でした。そのDNAは見事に私に受け継がれなかったわけですけれども。だからこそ、何年も何年もよく続けられたなぁ、なんて思ってしまうわけです。
この間、ふと彼女に電話をかけてそんなことを話してみました。そうしたら、母も毎日の家事を苦痛に思うことがあったそうです。でも、家族のためだと思えばがんばれたのだと。――何というか、オトナだなぁ、と思いました。精神的に。
私もいつかはその境地に至れるのかしら。いつかは、今の【年だけ取ってまだ中身はコドモの状態】から抜け出せるのかしら……。年の取り方や毎日の過ごし方について、しみじみと考えさせられました。


紙魚退治の思い出

親類から受け継いだ小説全集を読んでいたときのことです。その全集は親類がその父から受け継いだものだそうで、とても古いものだったのですね。どことなく酸っぱいにおいがして、紙もほとんど変色していました。図書館や古書店には、そのような本がたくさんあるので、特に気にしてはいませんでしたが。
そしてふとページをめくったら出てきたのが、紙魚。銀灰色で、手足がわさわさ~っとしていました。しかもちっちゃくて素早い。思わず悲鳴を上げて本を投げ出してしまいました。大切な本なのに、反省。
紙魚って紙を食べるのが大好きだから「紙魚」なんですよね。そう、紙を食べるのが好き……にわかにヤツから全集を守らねば!という使命感が生まれ、ティッシュを片手にそーっと、そーっと、床に落ちた全集をめくると……ああ、いました。そのまま潰れていればよかったのに。とにかくヤツに負けない素早さでティッシュを駆使し、何とか退治できました。
思えばこのときが、紙魚とまともに対峙した初めての瞬間だったかもしれません。しかし、まあ、そのおかげで耐性ができました。紙の本は財産です。人の思いがこもったものならなおさら。これからも毅然と対応していきます。負けないぞ。


植物園でぼっち充

先日、近隣の植物園に出掛けてきました。季節を問わず何かしらの花が咲いている植物園なので、いつ行っても楽しみが見つかるんですね。ちょうどよく晴れた日で、紫外線対策の帽子を目深にかぶり、のんびりと花を愛でました。持ってきたコンデジで写真を撮ったり、電子辞書に載っている写真と見比べてみたり……。
さて後は帰るだけ、というのは少々もったいない気がしたので、木陰のベンチで読書をすることにしました。屋外で、解放感に包まれながら読む小説は乙なものですね。遠くで子供たちが遊んでいる声が聞こえました。隣のベンチでは、仲の良い友人同士で来たと思しきお婆さんたちが、おっとりと世間話をしていました。
ちょっと疲れたなと思ったらのびをして、また適当に園内を歩き回って気分転換。おなかが空いたら併設のカフェでおいしいクロワッサンとコーヒーをいただいて、そこでも読書。場所を変えると集中しやすくなりますよね。
やがて日が落ちて、園内が一面金赤色に染まる頃。花の色合いが変わって見えるはずなのでもう1度写真を撮りに行って、その日は終了。人目を気にせずほとんど気ままに過ごしました。ぼっち充と呼ぶなら呼ぶがいい(笑)。楽しかったです。


誕生日にもらった小説

昔、誕生日にとあるファンタジー小説の全巻セットをもらったことがあります。そのファンタジー小説は私が子どもの頃から大好きだったもので、あんまり繰り返し読むものだから、すでにボロボロになってしまっていました。
それを全巻そっくりプレゼントされたときの気持ちは、なかなか言い表せません。自分の好きなものを把握してもらっていて、しかもそれがどんな状態か知っていて、誕生日プレゼントとして贈ってくれる、なんて……。
その人とは、今もいい友情が続いています。相手が自分を気に掛けてくれるというのはうれしいものですね。心があたたかくなります。もらった分は返したいというか、ギブ&ギブで終わらせたくなくなりますね。私だって負けないくらい気に掛けてやるんだからなー!って(笑)。
私が最初に持っていたファンタジー小説の全巻セットと、彼女からもらったそれは、今も私の書棚に並んでいます。先日、そろそろ3代目が欲しいんじゃないの、とニヤニヤしながら言われたので、お言葉に甘えてしまおうか、と思っている今日この頃です。
……まあ、その分彼女の誕生日には、彼女が喜びそうなものを徹底して選定する気でいるのですが。喜んでくれるといいな。


パロディで知る新しい魅力。アンソロジーコミック

アンソロジーコミックが好きです。そもそもアンソロジーコミックとは何ぞや。答え、公式公認の同人誌のようなもの。ちょっと乱暴な言い方かもしれませんが……。ゲームやアニメ、ライトノベルなどのパロディ漫画がたくさん載っているコミックのことです。たいてい大判コミックコーナーにあると思います。
何かひとつ作品を気に入ると、ついアンソロジーコミックの発売を期待してしまいますね。新人ベテラン問わず、好みの漫画家さんを探したいときにもよく読みます。パロディがうまい漫画家さんは、オリジナルでも面白いなーと思います。パロディの作風とオリジナルの作風を比べるのも楽しいです。本質は変わってないなーと思います。面白くて大好きです。そして彼らのオリジナルからも、アンソロジーコミックが発売されたりして……楽しみが尽きません。
パロディ元となった作品の別の側面を、他の人の視点を通して発見できるというのも大きいですね。自分では気づかなかった、新しい魅力の存在に気づくことができます。嫌いなアイツを好きになったり、好きなアイツはもっと好きになったり。ツッコミどころにドーンと大ゴマでツッコんでもらったときのスッキリ感は異常です。パロディ元が小説だったりすると、挿絵だけでは物足りなかった部分が補完されるのがいいですね。これからもマメにチェックしていきたいです。


言葉と言葉のつばぜり合い。対談本の魅力

対談本って面白いですよね。スゴイ人×スゴイ人……さて一体どんな内容になるのやら!?とワクワクしながら読み進めてしまいます。二人でテーマをどんどん掘り下げていく場合もあれば、それぞれの視点でガンガンやり合ったりもしますよね。すると、今まで見えてこなかったものが見えてくる。読者にもそれが何となくわかって、対談している二人との精神的な距離が近づいていく。まるでその場にいるみたいに。……私だけですかね。
ともあれ、対談本、大好きです。好きなコラムニストや作家が出ていると、迷わず買ってしまいます。このテーマに一体どんな考えをぶつけてくるのだろう、とドキドキしながら読みます。発言の内容が作品のイメージと違っていたり、どうも人間的に好きになれないかな、と感じるときもありますが、それもまた一興です。クリエイターだって人間ですからね。逆に、私も人間なので、そんなクリエイターをいまいち受け入れられないときもありますが……まあ、作品とクリエイターは別物ですし。
作品からほとばしるものとは違う、直接クリエイターの口から出てきた生々しい意見の数々……。対談相手と協力しながら、時に対立しながら、どのような決着を見るのか。固唾を飲んで見守らせてもらってます。


ザ・立方体。分厚い小説を読み切る、ということ。

ページ数の多い小説は、読み応えがある分、読みはじめるハードルが高いように感じられますね。読み切れなかったらどうしようなどと考えてしまって、結局手に取らないまま、ということもありえます。その点、ページ数の少ない小説は気軽に読めますし、最後まで読み通しやすいので、ハードルは低いように感じられますね。私もそうでした。ましてやシリーズものなんてとてもとても、と思っていました。そんな私の恐れを解消してくれたのが、京極夏彦の京極堂シリーズ。分冊されている場合もありますが、ひとまとめになっている場合の文庫版の分厚さは何というか、圧巻です。書店などで見かけると異様な存在感です。ちょうど周りで話題になっていたこともあり、勇気を出して読んでみました。分冊版ですとちょっとお財布の中身が厳しくなるので、とても分厚い方の文庫を購入。……怖がっていたのがもったいないと思えるくらい、面白かったですし、新刊が出る度に買いに行きました。さすがに重かったですが、作品愛と話の面白さで何とかなりました。読み切って思ったのは、見た目で判断するのはものすごくもったいないということ。勇気を出してめくってみれば、すばらしい世界が広がっていたのですから。以来、書店などで目に止まる小説があったら、どんな分厚さ、長さであれ、一通り読んでみることにしています。ご縁は大事にしないと、ですね。


季節ごとに読みたい本は違う

季節によって、読みたい本は変わると思います。小説の中で雪が降っているのに、真夏に汗をかきながら読んでいるのではなんとなくおかしな気分ですよね。そういう作品は、やっぱり冬に読みたいと思いませんか?児童小説で有名なナルニア国物語も、第一章に出てくる白い魔女は国を冬の中に閉じ込めてしまいます。アナと雪の女王の元になった童話、雪の女王というお話に出てくる魔女も、やはり雪や氷を操るので冬に読むと余計寒々しく感じます。
では夏にはどんなお話がいいか?個人的には熱血系のお話を押しますね。DIVE!!という飛び込み選手たちを描いた作品は、水泳というスポーツが夏のイメージにピッタリですし、登場人物たちの青春まっさかりな様子がまた夏にピッタリな作品だと思います。これ以外にも高校球児を主人公にした物語なんかもたくさんありますが、やっぱり照りつける太陽の感じが夏!っていう感じがしますよね。スポーツものはそのアツいイメージからやっぱり夏に読みたい作品な気がします。
でも、あえて真逆をいくっていうのも良いですよね。暑い夏に寒い冬の話というのも、涼しく感じられて良さそう。何はともあれ、一年中本が読めたら幸せって話です(笑)


図書館の本にありがちなこと

最新刊ではない、いわゆる過去の名作や古典作品を読みたいときは、図書館に行くことが多いです。購入前の様子見も兼ねています。無料で本が読めるんですから、図書館という場所は素晴らしいですよね。でもその図書館ですが、不便なこともあります。古典作品ともなると作家の全集などで置いてあるのですが、その本、たいてい文字がとても小さいんです。出版年が古いからでしょうか。何種類もあるのに、今の文庫本より小さな文字で、ハードカバー二段組みとかしてあるんですよ。読みたいけどこれは、と手に取るのを躊躇いました。それでもと、散々見比べて、一番文字の大きいものを選んで借りました。そして次の残念事項。今後も読み返すことになりそうなので、購入を考えて同じ本を探したのですが、中古本しかなく、しかもプレミアでもついているのかとても高価になっていました。図書館で読んだ本と同じ本を探すと、手が届かない価格になっていたり、絶版になっていたりするということは、割とよくあります。図書館の本が長く愛されていることの証ではありますが、結構がっかりしますね。そんな場合は、同じ本を何度も借りることになります。そして、この本が図書館からなくなる日が来ませんように、と祈るのです。


目にも心にも幸せな場所

いつだったかテレビで、小説家の先生の部屋を見ました。大きな本棚にも机にも本があふれていて、そのほかにも資料なのか、様々な紙で埋まっていました。はっきり言えば片付いていない部屋なのですが、私には宝箱のように見えました。だって壁一面の本棚に入れきれないほどの本ですよ。そして読み切れないほどの文字の詰まった用紙。何が書かれているんだろうとどきどきしてしまいます。思えば学生時代、図書館の奥にある司書の先生の部屋が好きでした。まだラベルを付けていない新しい本が山積みになっていて、なぜか古い本もたくさんあって。狭くて古い部屋でしたが、先生がそこに招待してくれるのが楽しみでしたね。こっそりお茶を入れてくれたんです。時々は誰かのお土産とかいうお菓子もくれました。今思えば、本に埋もれた秘密基地でおやつタイム、という至福の時間です。昔からそうやって、本や紙がいっぱいの、ちょっとごちゃっとした部屋が居心地よく感じるんですね。そういえば自室もそんな感じです。いくら片付けても、本の山ができてしまいます。でもそれが快適なのです。見えるところに本があること。手に届く範囲に好きなものがたくさんあるというのは本当に目も心も幸せなものです。